2006年11月27日

Hagenbeck

Posted by fische in History

23日から26日まで風邪で伏す。改源は砂糖のように思えてくるし、新ブロン液エースはもっと甘くておいしい眠り薬。ようやく抜けでる。そのあいだにちらりと目を通した本。今年の3月、1978年の定価の10倍とずいぶんの高値で出ていたが、何かの役に立つだろうと入手しておいた古書。実際、役に立つものである。何者なのだと思う。戦前、関係者はいつもそれに言及していたのだが、かと言ってドイツを真似するという感じでもなかった。彼ら日本人にとって、日本でも、ドイツでも、どこでもない何かとしてあらわれていたそれはいったい何だったのだろうか。朦朧とするなか、関連してもうひとつ発見もあったりして、風邪の功名。というにはしんどい4日間だった。

2006年11月19日

「五十年後の九州」

Posted by fische in Rehabilitations, 雑録
maruyama

講演は無事終了。主催者のみなさま、ご来場のみなさま、ありがとうございました。
ただし当方やや不完全燃焼気味。不足分ともども、再演を期しましょう。来月あたり。

2006年11月16日

博物館情報論とやら

Posted by fische in Theory

きょうの講義終盤に想い到ったこと。情報化社会における、〈知識=資料論〉、〈情報=経営論〉。制度に阿た範疇だが、たぶんそうであろう。

2006年11月6日

Smithsonian

Posted by fische in History, Rehabilitations

人口に膾炙した感のあった「スミソニアンで展覧会を開催した」が、「自然史博物館で開催した」となると話は別である。展示されたことがらは、動物・植物・鉱物・岩石等々博物、あるいは自然物、自然史(誌)の一部を構成することになる。1999年のかの展覧会が、サックラー・ギャラリーではなく自然史博物館だったことに、「理性の狡知」を想い起こす。加えて、流通・交換するのは、あくまでかの文物だということ。そのことによって生じているのが、「観光」であれ「研究」であれ物象的錯認である、ということ。とある「研修会」にて。

2006年11月3日

藤山一雄

Posted by fische in History

藤山一雄の展覧会が開かれている。1995年の名古屋、1996年の由宇町以来、10年ぶりの展覧会である。10月30日(月)から12月16日(土)まで。期間中の11月18日(土)、不肖私が講演をさせていただけることになった。この10年とはいったい何だったのか、が問われもする。ここしばらく、『新博物館態勢』と「五十年後の九州」を読みかえしていて、新たに気付くことがたいへん多い。これまで何を読み取ってきたのだろうと思う。たとえば、藤山一雄は弁証法的だった。ただしヘーゲル的な。そのようなことにもいたらずに来た、ということである。


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