1985年の作品。劇場へ何度も通ったし、VTRも手に入れ繰り返し観た。が、それはβマックスだったため、いつしか観ることができなくなり歳月が過ぎた。DVDでの再発時も機を逸し、ただいまのオークションでは高値がつき、変換してVHSにダビングしようと思いながらも果たさず、総じて出口なしだった。そして、偶々DVDをネット通販で見つけ注文、本日届く。取り急ぎ観たのは前半。もともと完成稿でないとは言え、原作と違うところがずいぶんあることに改めて気付く。悪くはないが、往事これのどこがわたくしにはよかったのだろう、とも。
それにしても、パッケージのチープなこと。21年前のそれとは比べものにならない。
NOKTO DE LA GALAKSIA FERVOJO
まちの博物館
久しぶりにこのまちの博物館に行く。昭和11年にできたものだが、大正から昭和初期頃の「博物館」とはこのような感じだったのだろうと思う。1階は動植物、2階は考古・民族。いまでこそ「考古・民族」と名指せても、往事は自然史の部分。総じて自然史博物館であり、郷土博物館だった。
偶々開催中の特別企画展「とうふつ湖の自然」もあわせて観覧。「ラムサール条約登録記念」という冠は現代風だが、「ある種が、日本では初めてこの地で発見された」をトピックスとする式の古典的な分類学に依拠した展示。こういう作風が連綿として続いているのである。博物学は植民地科学の尖兵だった。それがここではいまも無傷で生きている。しかも官民ともに。
2階の奥にはいわゆる歴史の展示がある。戦後の建物拡張でできた空間であり、付け足しのように見えてしまう。否、そう見せてしまうのには、やはりこの館が自らの植民地主義性に無自覚だからなのだろう。
「もう一つのトナカイ遊牧」
中田篤「もう一つのトナカイ遊牧:ツァータンの事例から」を聴講する。トナカイの動画・静止画の豊富さはさすが。そして、私たちに見えているトナカイの群れの、その向こう側にある(はずの)、直截には見えていないことがらに想いを致す。問題は、遊牧の知識・技術の社会・歴史性理解のための方法論にあるだろう。
Proletarian Archaeology
英語にすると変だが、「プロレタリア考古」をはじめとする考闘委関係文献の復刻話が持ち上がっている。私にとってそれらは、考古学そのものであり、全き夏の季語であり、秘儀だった。依頼された事務手伝いは了としたものの、素で出すわけにもいかないはず。さて、どうするのだろう。実務派と革命派の狭間で引き裂かれる感、稍あり。と言うか、革命出来ずに一生事務屋で終わりそうな予感さえするのである。きょうはお盆。
「満蒙開拓団は…」
昨日、NHKスペシャル「満蒙開拓団はこうして送られた」を見る。東宮鐵男、そして加藤完治のお話。加藤完治が登場して以降の満蒙開拓は全きカルト。藤山一雄は、この二人を名指して嫌悪していた。