2006年5月29日

「「A感覚」の戦略」

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高橋孝次「「A感覚」の戦略―稲垣足穂『少年愛の美学』の読書論的研究―」を聴く。
musings in fragments:「A感覚」の戦略性=綱領的戦略、詩人のことばの絶対性、「作者―作品―読者」の逆説、エゾテリスム。

2006年5月24日

「尾張・猿投山古窯跡群の基礎的研究(2)」

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丸山竜平「尾張・猿投山古窯跡群の基礎的研究(2)―東山古窯跡群の研究・予察―」『名古屋女子大学紀要』第52号人文・社会編、2006年3月を読む。
戦後考古学にとり、社会理論に接続することが「肇国」であった。これから見ると編年学派は、「編年のための編年」すなわち社会理論から逃走するものとして映じた。前者は、既に在る(と幻想された)社会理論への接続だったわけだが、編年学派はこれをさらに通俗化した社会観に甘んじてきた。両者は、当初の関係の母斑を帯ながらも斯界で棲み分けて来たと言える。(両者の弛緩の狭間に、デジタル考古学?や捏造事件などは発生していると言えるのかも知れない。)
ここで丸山氏の論文は、そうした社会理論と編年という二項を超えようとするものとして読むことができる。その基礎には社会理論があるわけだが、演繹するのではなくその方法はあくまで帰納的であり、そこに編年作業(予定された編年観ではない)も正当に動員される。遺物論の最たる編年と、遺跡論の最たる社会理論の、その次の地平がこの論文では展望されていると思えるのである。

2006年5月20日

「木村伊兵衛の13万コマ~よみがえる昭和の記憶」

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NHK教育テレビ・ETV特集「木村伊兵衛の13 万コマ~よみがえる昭和の記憶」の再放送を視る。語るとその途端にボロボロこぼれ落ちてしまう感が否めないのは必定だが、とりわけてテッサ・モーリス・スズキのコメントはよろしくなかった。初めて木村の写真を見た彼女のコメントである。アーティストではないスズキが動員できるコメントは、およそステレオタイプなそれであった。いつでもどこでも通用するコメント。制作者側の問題とも言える。「チャット」によるインタビューがということではなく、この部分は安普請な演繹ショーだった。

2006年5月17日

記憶装置としての博物館

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記憶喪失としての博物館

2006年5月15日

記念館

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戦争、軍事、平和…。どれにも該当しそうでしない。ミュージアムとしては等閑視されるミュージアム。ただただ記念館。

2006年5月14日

ミクロ生物館

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昨年7月にオープンした施設。メタからミクロではなく、ミクロからメタへ突き抜ける、楽しそうな場所。

2006年5月7日

南北問題

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本日ある事実に遭遇する。やはり、ミュージアムの南北問題を思わないわけにはいかない。富めるミュージアムはますます富み、貧するミュージアムはますます貧する。要諦は、博物館資料が危殆に瀕するか否かにまで進化した。すなわち「絶対的窮乏」。お金の問題だけではない。政治の幼稚さも加えよう。
そもそもミュージアムは、「絶対的窮乏」を条件に成立しはしない。そして成立したミュージアムにとり、外部の「絶対的窮乏」は恰好の対象となる。「ほう、なるほど…」の共同体。二項のメタレベル=第三項が隠蔽されている。とにかく悩ましく、煩わせるのだ。

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